とある小学 6 年生の児童
小学 6 年生のこの時期というのは、非常に脆い時期です。すでに思春期に突入している子どももいれば、まだまだ幼い子もいます。でも、共通して「中学」への期待と不安、「卒業」への悲しみと誇り、そしてなんとなく大人への第一歩のようで自分はできるんだ、みたいな自信、でもまだそんな反面、甘えたい・・・そんな複雑な思いが絡み合った時期のような気がします。
また、自分という人格と向かい合う時期でもあり、周りと自分を比べてしまい、自分のできないところを非難してしまうこともあります。だからこそ、心のサポートが大切だと、私は思っています(そういえば、6年生を担任していた時は、「心」に重点を当てた学級経営をしていて、毎日、子どもの思いを聞くようにしていたなぁって懐かしくなりました)。
今はイギリスに来てしまったため、学級経営からは離れていますが、個人レッスンで子どもたちと時間を過ごすことができ、私には宝物の時間になっています。また、スカイプでは読み書きに困難を持つ子どもたちに1回15分という短いレッスンをさせていただき、毎回、私が勉強させてもらっています。その中の一人の子、あぁ、今、苦しんでいるだろうな・・・という様子がここしばらくありました。いろいろなことにぶち当たり、いろいろな思いを抱え、何とも表現できないつらさ、それをぶつけられない苛立ち、苦しさ・・・それを抱えているのを感じながらも、私には何もできずにいました。
が、昨日、この子のお母さまのブログを目にしました(許可をいただき、掲載しております。原文はこちら 長男の夢:3 TREE HOUSE) 。
長男の夢
ブログは久々の更新。6年生になり沢山の成長をしている長男です。
今日、心理の先生のカウンセリングの中で45分ずっと自分の夢を語りまくっていました。
「学校の先生になりたい」
そう思えるだけのここ半年がんばって過ごしてきたように感じます。またたくさんの出会いに支えられてきたのでしょう。
なぜ先生になりたいのか? 自分のようにディスレクシアの子を教えることができる人が必要に思うからだそうです。まだまだつきない彼の夢の構想はすごかったです。彼曰く未来ではなく、すぐにできることなんだそうですが、
電子黒板(彼曰く 黒板全面が電子黒板)に教科書や絵本を映し出していて
新しい単元の前には音声教科書の読み聞かせをしてあげるそうです。。
それはデジスレクシアのこにも普通の子にも必要だからだそうで(彼は3年4年の先生にそうしてもらって内容を理解することを覚えたようです)他にもディスレクシアの子をサポートする検査方法も画期的でした。そしてその子と親に対するアプローチも的を得たものでした。字が書けない読めない子の気持ちを代弁したいといっていました。(多分これはエッジBEAM 製作スタッフで当事者のF さんの影響みたいです)
本当に本質をこの子はわかっているんだと思いました。ICT を使いたい、使える環境作りは僕のような人が先生になるから進むんだといっていました。(この辺はディスレクシアフェスで当事者として語った経験からでしょうか?)
他にもたくさんICTの構想はたくさんあがり心理の先生と未来のジョブズくんの話を聞いているようだわって話していたくらい、キラキラとあたまのなかから溢れ出てくるようでした。この内容はいつかまとめて論文で発表してくれるそうですまた小学校の先生の休日はボランティアをして過ごすそうです。そのボランティアもいろんな友達や人脈を使って学校の授業で生きた学習をできるようにお米作りを体験させたり、もしくは地方の農家の方と交流をして一部の苗を同時に学校で育てたり、、縄文時代の話も体験から覚える授業をしたいそうです。
彼らしいのが、体験学習には班長さんが捉えておきたいポイントはキーワードで記入するくらいであえて紙も鉛筆も持たせない、体感するのを大切にするんだそうです。(ここはグランマの影響でしょうか?)
自由研究などは紙で発表するのもありだし、パワーポイントをつかって発表するのもあり、打てなかったり書けない子はキーワードだけかいておいて音声録音をしておいてキーワードを押すと聴けるようにしておくそうです。
(ハイブリットキッズの影響でしょうか?)
学校やボランティアだけでなくディスレクシア研究の一員として発表したりしたいそうです。(エッジの藤堂さんの影響でしょうか?)
英語もオリジナルでかんがえついた英語バスケット(フルーツバスケットの要領で英語をつかって遊ぶ)など体感しながら、遊びながら歌いながら、リズムに合わせて学んでいくそうです(これはジョリーフォニックスの山下先生の影響でしょうか?)勉強もがんばっていますよ。苦手な漢字にも取り組み、
学校ではポメラをつかってノートテイクしています。
家では結構なスピードでサーフェスでうって勉強しています。
中学では通級に行かなくてもいいよう準備しているそうです。あまりにもたくさんの夢を語るのを目の当たりにして目頭が熱くなるおもいでした。
読んだときには、涙が止まりませんでした。子どもって本当に考えている。いつもいつもトレーニングでも「子どもを信じて」と言っていますが、本当に子どもって大人が思う以上に真剣に人生を考えているということを、再認識させられました。この子はディスレクシアを持っています(それもかなり重度)。当然、黒板の文字を写すなんて苦痛そのもの。それを3、4年生の先生のご配慮によって、違う方法を見つけ、それを次に還元していきたいと思うこの子。いろんな経験をさせてきたからこそ、それを生かそうと思える。この子をサポートしている大人(自分がそうは思わなくても)をこの子はちゃんと見ているんだって、驚きました。
私は英語を教えることで、読み書きが苦手な子どもたちが「ぼく、英語、嫌じゃないよ。」って思ってくれればいいし、「英語、おもしろいね。でも、なんでおもしろいって思えるようになったんだっけ…?」と思ってくれたらとてもうれしい。私の存在は覚えていなくてもいいけれど、一緒に時間を過ごす中で子どもたちが「芽」を出し、その後、それを育て続けてほしいというのが、私のずっと思っている思い。この「芽」は「やる気の芽」「興味を持つ芽」「読む楽しさの芽」「書けるうれしさの芽」・・・どんな芽でもいいんです。その芽を出すことが私たち教師の仕事だと、私は思っています(土地を耕すこと、種を撒くこと、水やりなどなど)。
教育って何だろう・・・と考えることが最近あったため、この子の思いを書き留めたお母さんの言葉を読んで、素敵な教育者がたくさんいる!と思えたこと、そして、この子が素直に受け止めて還元しようとしていることがわかって、心がすごく熱くなりました。ありがとう、A君、そしてお母さん。
この子のお母さんの言葉で、「私は私、自分の思いをきちんと伝えていこう」と、思いを新たにすることができました。2017 年は私にとって忙しくなる一年になります。でも、私ができることは、子どもたちが「芽」を出し、「自分でできる」という思いを持ってくれること、そのために子どもたちを教える先生方が「わかる」「やってみたい」と思えるトレーニングをすること。そんなことを考えさせられる年始めになりました。
*この子が書いた作文「二日月」も読んでみてください。心打たれます。
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